継母は毒親でした

わたしの記録(虐待)
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父の再婚、継母が毒親でした

継母と出会う前のわたしはここをクリック。

多分、わたしが3歳くらいだったと思いますが父が再婚しました。まだ小さかったわたしは急にできた継母を疑問に思うこともなく、本当の母親だと思って暮らしていました。

厳しかった継母

継母はとても厳しい人でした。
食事の時は一番叱られましたね。箸の使い方、食べる時の姿勢などいろいろ叱られました。今では大人になって恥ずかしい思いをしなくて済んだことには感謝しています。

週末はよく継母の実家に行き小学校入学前には算数の足し算引き算を教えられて、全然出来なくて叱られたことを覚えています。
叱られすぎてわたしは算数ができない人間なんだと思うようになりました。

わたしは欲しいものを欲しい!って言えない子供でした。
「喉が渇いたな〜」って言えば
「ちゃんと飲み物が欲しいですって言いなさい!遠回しに言わないの!」
遠回しに言うってあまり良くないでよね。

物をもらった時も
わたし「ありがとうございます。」
継母「嬉しくないの?もっと嬉しそうにしたらどう?」
嬉しかったのにそう見えなかったのかな・・・。じゃあ、大袈裟に喜ばないと思ってより嬉しそうに見えるように演技してました。

父との生活で躾がきちんとされてなかったわたしは直さなきゃいけないところが沢山あったんでしょうね。

妹が生まれた

わたしが小学校入学くらいに妹が生まれました。わたしはとても嬉しかったんです。

でも、そこから徐々にわたしに対する継母の態度が変わっていったように思います。今までは大人になっても恥ずかしくないようにという気持ちが少なからずありましたが、妹ができてからは理不尽なことで怒られるようなことも多くなりました。そして手が出るようになりました。 

友達のところに遊びに行っても絶対に人の家に上がってはいけないと言われました。何故かというと、妹が小さいからわたしの家にあげることはできないからあなたも上がってはダメということです。

でも、その友達のお母さんは「私がお母さんに言ってあげるから、上がっていいのよ☺️」と言ってくれたので家に上がらせてもらって遊びました。それで帰ってから地獄です。

「何でそんなこと言ったんだ!お父さんにも言うからね!」と叱られ、父が帰ってくると継母と一緒になって怒り「あの池に捨ててくるぞ!」と言われ車に乗せられました。
わたしは泣いて謝ってやっと許してもらえて家に帰ることができました。父まで一緒になって怒ってわたしには味方がいませんでした。

ある日には継母が怒った時に「あんたは私の本当の子供じゃないからね!」と言い放ちました。でも、わたしの性格なのかあまりショックじゃなかったですね。

今思うと怒られすぎてて心がマヒしてたのかもしれないですね。

小学生時代

わたしの小学生の頃の記憶はとにかく怒られたという気持ちと召使いになってたという記憶です。

傘が無くなった

小学生の時、傘が無くなったことがあったんです。どんなに探してもない。盗まれたんでしょうね。

そのまま家に帰ると義母は物凄く怒り「見つけるまで帰ってくるな!」と言いました。わたしはまた学校まで行きました。学校も結構距離あるのにまた歩いて学校まで戻りました。

誰もいないところでわたしは一生懸命探しました。すると見兼ねた先生がもう帰りなさいと言ってくれました。家に電話でもしてくれたのかそれはわかりません。

傘が無くなったのは自分のせいじゃないのにとても悲しかったです。

家庭訪問

わたしは子供のころ授業に集中できない子でした。手遊び、外を見る、隣の子とお喋りをする。今、考えたら自分の子供に怒れないですよね💦

こんな子供だったので家庭訪問の時に先生に色々と言われてしまいましたね。その時に先生に「この子は1人でも生きていける子です。」と言われました。わたし、未だにこの意味がよくわからないのですが、義母は「あー、恥ずかしい子だよ😡」って怒ってましたね。

わたしは1人でも生きていけるって凄いじゃん!何で怒るのかわからなかったです。この先生の言葉は未だに忘れることはできません。

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