親に愛されたかった子ども時代

わたしの記録(虐待)
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躾と虐待のラインは?わたしの場合は?

躾と虐待の違い

厚生労働省が定めた児童虐待の定義は4つあるそうです。→詳しくはこちらをクリック
身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待があります。

では躾とは?

しつけ仕付けまたは仕付)とは、人間社会集団規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように訓練することで、教育の一種である。

引用: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

やっぱり昔は体罰で教えるということもありました。わたしが小学生の時もまだありました。
体罰・・・正直わたしも子供を叱るときに叩いてしまったことあります。でも、毎日なんてことはありません。本当に言っても聞かなかった時です。

自分が叩かれて育ったのでそれがどれだけ嫌なことなのかわかりますし、そんな親にはなりたくありませんでした。

身体的虐待・心理的虐待

ゴミ出しができていないや学校で使った箸を夕方に出さずに夜に慌てて出すなど、あれができていないこれがやっていないなど色々でした。気づいてやった時にはもう遅いんです。こんなに毎日怒られるのに忘れてしまうわたし。

怒られるのは夕ご飯前が多くて、玄関まで引きずられてビンタされたり、見えない太ももとかをつねったりされました。

ビンタされれば毎回鼻血は出るし、つねられたところは次の日大きな青アザができていました。

夕ご飯前に怒られるからご飯はみんなと一緒に食べられず、みんなが寝た後に冷えたご飯を食べていました。こんなわたしを妹達は見ていたけど、どんな風に思っていたんだろうかと考えるときがあります。

父親は家に帰るのが嫌だったみたいで毎日夜の9時過ぎの帰宅でした。こういうことが毎日起きていたのを知っていたのかどうかはわかりません。

例えば父が知ったとして継母に何か言うと「すぐにあの子ばっかり庇う!」と言って、返っていつもの何倍も怒れるのです。

結局わたしは怒られることからは逃れられないのです。だからもうわたしには構わないでと思っていました。

ここから逃げたい

怒られるとよく家の外に追い出されました。そしてわたしは恥ずかしくて近所の人に見つからないように身を潜めていました。
1度だけもういなくなってやれっ!と思い山に逃げたこともありました。でも、ずっといられなくて戻ってみるとわたしがいなくなったことにびっくりしたのか継母は車で探し回ってたみたいでした。

そんなに探し回るくらいなら最初からやるなよって、結局自分がやったことでわたしが死んだりしたら困るから必死に探してだけだと思います。

もう死にたいと考えるようになりました

こんな地獄から逃れたいといつも思っていて、そして自殺したくて仕方がありませんでした。それは小学生低学年の頃からずっと考えていました。ここから飛び降りたら死ねるだろうか?そんな事ばかり考えていました。遺書も書きました。

それくらいわたしは辛くて仕方がなかったんです。今でこそ児童相談所や警察に言うとか思いつきますが、当時はそんなことを思いつきもしませんでした。

死ねば楽になれるし継母も悪い奴だってみんなに知れ渡るのになと毎日思っていました。

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