子供の頃の辛い思い出

わたしの記録(虐待)
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トラウマになりました

子供の頃の辛い思い出で忘れられないことが2つあります。そのせいでわたしはこれがトラウマになりました。

トラウマとは

トラウマとなる体験とは、①死ぬ恐怖、大けが、身体の統合性の危機、②実際に経験したり、見たりする、③恐怖、無力感を覚える、という3つの側面を持つそうです。

引用:聖徳大学 心理教育相談所

暗い池とエスカレーター

まずは暗い池や水槽です。これは前にもお話ししたと思いますが、小さい頃怒られるとよく池に捨てられそうになったからです。

あとはエスカレーターです。これは幼児のころ継母とどこかに出掛けた時のことでした。わたしはエスカレーターを1人で降りるのが苦手だったのでいつも手を繋いで降りてもらっていました。

でも、その日は1人で降りなさいと言われエスカレーターの上に置き去りにされました。そして継母は先に降りてしまって早く降りてこいと下で叫んでいました。

結局わたしはどうしてもできなくて怖くて泣いていたら、知らない男の人が手を繋いで降りてくれました。その後はお察しの通り継母に恥ずかしい思いをしたと叱られました。

だったら最初から手を繋いで降りてくれたらよかったじゃないか!

わたしは今でもエスカレーターが苦手で手すりを持たないと降りられません。落ちるんじゃないかという恐怖から逃れられません。

本当に幼少期の体験って馬鹿にしちゃいけないと思います。どうせ小さい頃のことなんて覚えていないでしょうと思う人もいるかもしれませんが、特に恐怖って1番心に残るものなんです。良い事は覚えてないのに恐怖はいつまでたっても覚えてるんです。

そのため虐待された子はずっとその恐怖に怯えて生きているのです。わたしは大人になってもその恐怖に支配されて生きています。

継母の実家ではいつもひとりぼっち

わたしはよく週末になると継母の実家に行くことがありました。

義母わたしと妹2人です。そしてわたしが居ていい部屋は和室の部屋だけでした。ご飯の時間になってもわたし1人だけ和室で食べさせられました。みんなと一緒に食べることは許されてなかったのかな…

その時の継母たちの気持ちはわかりませんが、結局の所わたしが赤の他人だからという気持ちでやったんでしょうね。

なぜ一緒に継母の実家に行ったのかすら覚えてないですが、あんな惨めな思いするくらいなら1人で留守番してたほうがマシだったなと思います。

本当に意地の悪い人間でした。実家に行くと継母の弟のお嫁さんの悪口を継母と祖母と2人で言い合っていて、子供ながらにお嫁さんが可哀想でならなかったです。姑と小姑がダブルで悪口なんて、ドラマの世界みたいでしたね。

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